以下は、発表されたばかりの英国の NQTP(National Quantum Technologies Programme)について GQIが作成したレポートの概要である。GQI は 38ページの分析を行い、今週後半にはさらに多くの詳細を発表する予定である。完全なレポートを取得する方法については、こちらリンク を参照。
要旨
NQTPは、その範囲と研究を商業応用に結び付ける明確な目標があり、量子分野における世界的に先駆的な取り組みである。世界中の多くの取り組みに影響を与えている。構想から10年、科学とイノベーションを原動力に成功を目指す英国の取り組みは、新たな局面を迎えた。英国政府は、量子プログラムの10年間の継続で25億ポンドを費やす計画を発表。GQIは、地政学的なリスクがますます強まる中、英国は量子分野における魅力的なパートナーであり、投資先であると感じている。
GQIは、英国の量子セクターへの投資や提携を検討されている人、あるいは単に参考にしたい人のために、同プログラムと政府の計画について独自の分析結果をまとめた。まず重要なのは、英国の政策科学、イノベーション、産業が並行してどのように発展してきたか、また、長期的に安定するための今後の展望を理解することだろう。
事業戦略
1964年、ハロルド・ウィルソン首相は、「テクノロジーの白熱」で強く新しい英国を約束した。その後、多くの出来事があった。英国の マーガレット・サッチャーと米国の ロナルド・レーガンは、経済的な意思決定における国家の役割を極端に減らすことで、自国経済が直面する課題への新しい対応を図る。そして産業政策は支持されなくなった。
2008年から2009年にかけての世界的な金融危機があり、多くの人が、自由市場への信仰が行き過ぎたのではないかと疑問を持ち始めた。また、経済観念の異なるグローバル・パワーの台頭は、欧米のコンセンサスに挑むものとなった。欧米では基礎科学が発達しているにもかかわらず、新技術を市場に投入しようとするイノベーターには、しばしば「死の谷」が待ち受けていた。
デイヴィッド・キャメロン首相(2010-16年)は、英国保守党を積極的な産業政策に戻し始める。この時期に、英国量子技術プログラム (NQTP) が構想され、開始された。キャメロンがブレグジット(欧州連合からの離脱)で失脚すると、後継のテリーザ・メイ(2016~19年)はこれを本格的な産業戦略へと積極的に拡張し、このプログラムはフェーズ2へと移行・形成されていった。
UK NQTP - 最初の10年間
2013年に発表されたNQTPフェーズ1(2014-2019)では、最終的に約3億8500万ポンド(約620億円)を費やして、英国における量子セクターを構築することになった。4つの学術的な研究拠点が設立され、それぞれが異なる量子サブセクター(コンピューティング、通信、イメージング、センシング&計測)に焦点を当てた。3つのスキル・トレーニング・ハブと2つの博士課程トレーニング・センターも作られている。そして、コミュニティ形成とアウトリーチ活動により、認知度を高めていった。
NQTPは、世界の量子分野にとって注目すべき変曲点であった。これは、広範な量子技術の開発を体系的に対象とした最初の主要な国家主導の取り組み(学術、政府、産業、および使用者の協力を促進する完全なサプライチェーンの視点を促進する)となる。このことは、EUの量子フラッグシップや、米国の国家量子イニシアティブ(NQI)の立ち上げの動機付けと形成に貢献していくことになる。その後、カナダ、ドイツ、フランス、オランダ、日本など、多くの国で国別量子プログラムが実施されていく。
テリーザ・メイ政権はブレグジット離脱協定交渉の混乱の中にあったため、NQTPフェーズ2(2019-2024)の形成は政治主導というよりボトムアップの動きが目立つことになる。ハブの活動は続いた。国立量子計算センター(NQCC)も新設された。産業界主導のコンソーシアムには、産業戦略チャレンジファンド(ISCF)から多額の資金提供があった。プログラムの10年間で、政府と関連産業の全体的な支出は約10億ポンド(約1,600億円)と予測された。
残り1年となったこのプログラム。これまでに英国の活発な量子エコシステムを創出したと言える。これには、主要な学術機関、世界的に重要なスタートアップ、中小企業、積極的に関与する産業界の大手企業(inc。BAE、BP、BT、東芝他)が含まれている。140の企業がこのプログラムと提携し、50以上の量子スタートアップが誕生した。人材が重要なボトルネックであると広く認識されているこの分野において、470人以上の博士号取得者に資金を費やしてきた。GQIの「Quantum Outlook」では、世界各地の量子分野の先進的な動きを紹介する中で、英国での進展がしばしば取り上げられている。
産業政策が常に有効であるとは言えないだろう。英国の NQTPは、自ら設定したすべての成長目標を達成しているわけではない。しかし、すでに優れた成功を収めていると言える。
科学大国
ボリス・ジョンソン (2019-22年) は、テリーザ・メイの後を継いで 「ブレグジットを成し遂げる」 という国民の声を引き継いだ。ジョンソンは「産業戦略」の概念を後退させた。しかし、彼と影響力のある最高顧問ドミニク・カミングスムは、長期的な経済的成功の重要な推進力として、科学とイノベーションに資金を提供することを率直に提唱し推進する。英国が「科学大国」「イノベーション国家」となることを目指したのだ。これはまだ NQTPにとって不安のない環境である。
リシ・スナクが政府の中心を担ったのは、ちょうど英国の量子計画の次の段階を確定させる必要がある時期だった。NQTPが発足して以来、その影響もあったであろう世界の量子の動きは大きく加速している。AIなど他の破壊的な技術の進歩も、さらに加速している。
英国政府の新しい科学技術フレームワークと国家量子戦略は、量子技術を英国の重要な未来分野として再認識させるものである。
AI、エンジニアリングバイオロジー、未来型テレコミュニケーション、半導体、量子テクノロジーの 5つの重要技術にフォーカスされている。量子技術は、単独だけではなく、補完性・重複性の高い他の分野、とグループ化されている。
政府の研究開発費全体は、年間150億ポンドから年間200億ポンド(約3.2兆円)に増加。このため、フレームワークの優先事項をサポートするための追加的な資金のための大きな余白がある。
ARIAは、ハイリスク・ハイリターンの研究プログラムに対して 8億ポンド(約1,300億円)の資金を新たに提供する。次世代量子分野では、このうちかなりの部分を獲得するだろう。
高成長ハイテク企業に対する英国資本市場からの資金調達をスムーズにするため、金融市場の規制改革が導入される。これは、すでにいくつかの注目すべき量子スタートアップ企業が、資金調達のために海外へ出ている現状にとってタイムリーなことだ。
UK NQTP - 次の10年
科学技術枠と 2023年予算案との関連で、政府は最新の国家量子戦略を発表した。これにより、2つの新しい5年間のフェーズにわたり NQTPが延長される。25億ポンド(約4,000億円)の公共投資が計画されており(2024-2034年)、少なくとも10億ポンドの民間投資がプログラムに追加される予定だ。
量子研究ハブのポートフォリオは、EPSRCの競争力のある提案募集によって刷新される。
アクセラレータプログラムは、商業化を加速する。
ミッション指向の資金は、主要な目標に向けられる。7,000万ポンド(約83.5億円)は、2つの初期優先事項に割り当てられた。
位置、ナビゲーション、タイミングの量子技術 (GNSS denied-PNT) 。
量子コンピュータのテストベッドで、2025年までに量子優位性を実証。
研究開発活動を促進するための産業界主導のイノベーション資金。
トレーニングや人材育成のプログラムの拡充。
博士課程研修センターの増設(新たに1,000人の博士候補生に資金を提供)。
国際的な人材を獲得するための効果的な活動。
NQCCの資金調達と知名度の向上。
他の有力な量子技術国との二国間協定の締結。
これは、同プログラムのこれまでの投資額の2倍以上である。長期的な視野により、研究プログラム構築の安定性が約束されるだろう。
量子コンピュータでは、量子ビット技術、ソフトウェア、アルゴリズム、アプリケーションの幅広い分野での開発を継続的に支援することを想定。センシングの分野では、統合フォトニクスを強く意識し、幅広い分野に焦点を当てる(少なくとも2つのハブが想定されている)。
量子通信では、技術の大幅な進化が見られる。プログラムの戦略的目的は、「分散エンタングルメントのためのネットワーク」に設定されていることが明らかになった。
これにより、政府内の長年にわたり大きな懸念であった点が解消される。NQTPの研究は、量子鍵配送 (QKD) として知られるネットワークセキュリティの新アプリケーションが、初期の商用製品が市場に出るのを助けることになった。NCSC は長年、この技術に著しく懐疑的であったのだ。このアプローチに基づく英国内量子ネットワークに関する BT主導の既存の実現可能性調査が完了しつつある。GQIは、今後、産業界主導でメリットが評価されることを期待している。国家量子戦略は、英国のサイバーセキュリティ戦略における NCSCの指導的役割を明確に再確認するものだ。
GQI は、AUKUS協定の次段階が確定した数日後に、新しい国家量子戦略の詳細が明らかになるのは偶然ではないと考えている。AUKUSには既に量子技術に関する3つの主要国間の協力による条項が含まれている(GNSSを否定したPNTは多くのことに有効だが、潜水艦は確実にリストの上位にある)。NPL (英国) とNIST (米国) は、既に量子分野で協力を深める覚書を締結している。英国のプログラム研究の方向性は現在、米国の優先事項と合致している。これにより GQIは、共同出資の募集が容易に、さらにより多く行われるのではないかと考えている。
主な課題とチャンス
当然ながら、この先には多くの課題とチャンスが待ち受けている。GQIに関しては、次のような特徴がある。
Horizon Europe とその先 - 「科学大国」 は当然、EUの950億ユーロ規模の研究プログラムであるホライズン・ヨーロッパに参加することを期待するだろう。しかし、英国との提携を阻んでいたものが後退したとはいえ、7年間のプログラムの途中から参加する場合の適切な料金をめぐる交渉は難航するに違いない。過去3年間、英国と欧州の協力関係は悪化している。このプログラムの費用対効果は限定的であり、かつてのように簡単ではなくなっている。しかし、その他のメリットは依然として大きい。「プランB」 の代替案に魅力を感じている人もいるが、学界はまだ納得に至っていない。新しい国家量子戦略では、Horizon Europeへの参加に依存しておらず、英国が EU内外において、2国間協力できる量子国家が多数存在するのだ。英国は魅力的な量子パートナーとなる。
半導体 - 世界的な地政学的緊張の高まりとサプライチェーンの脆弱性に対応するため、欧米各国政府は自国内での半導体製造施設の再開発を推進する動きが加速している。米国は CHIPSと科学法で 2,800億ドル(約37兆円)を投資し、EU の CHIPS法は 430億ユーロ(約6兆円)を動員する予定だ。これには、量子技術に対応した製造施設の整備が含まれている。補助金競争では、英国が単独で行動してもかなわない。英国王立工学アカデミーのレビューでは、この難問を一時的に解決している。
資本市場 - 英国のハイテク企業は、これまでロンドンの大規模な資本市場を通じた資金調達の恩恵を十分に受けることができなかった。政府は現在、市場が潜在的に提供できる大きな資金を引き出すことを期待し、規制改革を実施している。しかし、アカデミックな創業者、ベンチャーキャピタル、ファンドマネージャーとの結びつきを実現するためには、大きな課題が残されている。誇大広告の波と、投資の冬を乗り切ることが求められているのだ。デューデリジェンスには特有の課題があり、スケールアップに必要な大規模投資のリスクプロファイルを十分に理解しなければならない。
クラスター - 場所の問題。英国には、ケンブリッジ、オックスフォード、ロンドンの「ゴールデントライアングル」内に、世界的な量子クラスターが存在する。しかし、新たなクラスターの可能性は、国内の他の場所にも存在しているだろう。国家量子戦略では、グラスゴーとエジンバラに大きなサポートを提供することが定められている。これはスコットランドにとっても良いことだが、GQIの見解では、これらの拠点におけるこれまでの研究成果や施設の強さを考慮すると、明らかにその価値の大きさが認められている。他の選択肢もある。魅力的なクラスターは、単に補助金や減税を提供するだけでなく、本格的な対内投資を呼び込むための重要な手段である。
ARIA (Advanced Research and Invention Agency) - 英国の研究開発部門にとって、さらなるダイナミズムの源泉である。量子分野が新しい機関からの支援を受けるチャンスだ。これには、既存の野心と競争するのではなく、拡張するような大きなアイデアが必要となるだろう。
Q-Day - 将来の量子コンピュータが、現在のサイバーセキュリティが依存している暗号コードを破る日に備えて、世界は準備が必要である。今日傍受され保存されているデータは、すでにこの脅威に対して脆弱だ。多くの専門家は、この脅威の実現には十分な大きさの量子コンピュータが必要であり、その道のりは長いと予想している。そのため最も可能性の高い Q-Day は、2030年から2040年の間とすることが多い(この範囲はNQTPの幅広い研究プログラムに合致している)。しかし GQIは、合理的な最悪の場合に焦点を当てる必要性を強調しており、それは 2027年にもなりうると、私たちは考えている。これはNQTPに限ったことではなく、量子に強いポスト量子暗号(PQC)への移行に関する英国の広範な戦略に関わる問題である。国家量子戦略は、既存の NCSCの立場を改めて示している。これは、2035年の Q-Day に向けた米国のアプローチを強く反映している。残念ながら英国の主要な規制当局の間で議論が始まったのはつい最近のこと。GQIは、市場が考えているより Q-Dayが早く現実的な危機となった場合の混乱に注意を向けている。
将来の安定性?
新しい10年間の NQTP の魅力。それは、研究プログラムの安定した基盤が約束されていることである。これは政治的にどこまで実現可能なのだろうか?
保守党は世論調査において労働党に 25ポイントの差をつけられている。2024年に予定されている次のイギリス総選挙をもって、14年間続いた保守党政権は終わりを迎える。
GQIの評価では、英国の増大する量子エコシステムに脅威を与えるものではないとしている。Kier Starmer の労働党は、最近独自の産業戦略を発表した。この政策は現在、詳細を欠いているが (世論調査でこれほど先行している野党が政治的に賢明なのは間違いない) 、量子 (およびその他) のような 「将来の成功」 を支援する点は明らかである。政府に対するミッションベースのアプローチは、 「G 7 における最高の持続的成長の確保」 にコミットしている。これらは量子技術の支持者にとって幸いだ。「クリーン技術の超大国」 を目指したところで、量子技術が役立つ様々な方法を熟知している量子業界は、たじろぐことはないだろう。
※参考
GQI:量子テクノロジーに特化した市場・ビジネスインテリジェンス企業。
AUKUS:アメリカ、イギリスおよびオーストラリアの三国間の軍事同盟。 2021年9月15日に発足。
Horizon Europe:欧州連合の 7 年間の科学研究イニシアチブ。
Due diligence:Due(当然の、正当な)とDiligence(勤勉、精励、努力)を組み合わせた言葉で、M&Aの意思決定の際に対象会社等の実態や問題点把握するため各部門の専門家が行う調査のこと。
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原記事(Quantum Computing Report)
https://quantumcomputingreport.com/
翻訳:Hideki Hayashi